一緒にいていい人とダメな人
遅ればせながら『嫌われる勇気』を読んでいる最中ですが、その中で感じたことを。
私には2年半付き合った元彼がいました。そして今は半年ほど付き合っている彼氏がいます。
『嫌われる勇気』を読んだことのある方はわかるかもしれませんが、本書にはコンプレックスについての話がでてきます。自分のコンプレックスって何だろう?と考えた際に思い出したことがありました。
コンプレックスのきっかけは彼氏に馬鹿にされたこと
私はもともと「コンプレックスなんてある?」って言われたこともあるくらい、ポジティブというか、何だかんだで肯定的に生きてきました。容姿についてやれもう少し身長があったらいいだの鼻が低すぎるだの親には言われてきましたが、どちらもさほど気にしたことはありません。身長はヒールを履いても履かなくてもちょうどいい高さだし、鼻は西洋人みたいに大きすぎる鼻に巨大な鼻の穴なのよりよっぽどましだから。
そんな中でも一つだけ、コンプレックスと呼べるようなものがあります。
それは英語の発音。
小さい頃からフランス語漬けだったので多少はフランス人みたいな発音だけど、それなりに喋れてると思っていました。しかしある時に
「ごめん発音悪すぎて聞き取れなかったw」
と嘲笑するような元彼の発言がトラウマになり、英語の発音に対する苦手意識が強化されました。
近しい人の発言の影響力
元彼に言われた一言は恐らく正論です。典型的なフランス人がしゃべる英語はほとんどフランス語にしか聞こえず、何を言ってるのかとてもわかりにくいから、自分のも聞き取りづらくて当然です。
ここでのポイントは2つ。
①親密な関係性
友達以上家族未満(もしくは家族以上?)、かなりの親密度のある彼氏に言われたということです。信頼していた相手に馬鹿にされることのダメージは計り知れません。世間でいう毒親に育てられた子供たちは日常的にもっと酷いことを言われてきているので、そんなの自己肯定感が育たなくて当たり前だという話です。私は幸いにも親に馬鹿にされたことはないので、特に根拠のない自信のようなものを持てているのだと思います。
②伝え方
もちろん親密な関係だからこそ指摘できることもあるかと思います。指摘しないことを善としたいわけではありません。ある意味元彼の発言はそんなことを言い合えるくらい親密な関係だったことを表しているのかもしれません。しかし馬鹿にするのは論外です。自分の発言で相手を傷つけたいと思っているなら、それはもはや健全な関係ではありません。意図せず傷つけてしまったのなら伝え方を工夫する必要があります。
一緒にいる人を選ぼう
元彼とは今回の件とは別にきっかけがあり別れました。そして今の彼氏と付き合い始めたのですが、元彼といた時とは精神的な安定具合が丸っきり違います。
元彼はよく話を聞いてくれる人で、私をマイナス思考から抜け出す一歩をくれたので非常に感謝しています。しかし年上だったこともあるのか、常に私より上の立場でいようとしていました。私が健全になって前向きになってきた時にむしろ足を引っ張られている気がして結局別れを選びました。
今の彼氏とは喧嘩を重ねた時期もありましたが、一緒にいるようになって精神的にかなり安定しました。彼が私を馬鹿にしたり人格を否定してきたことは一度もありません。そのことが何にも代え難い信頼感となり、いつでも安定した状態でいられるようになりました。彼の行動に疑心暗鬼になることもありません。
ここから得られる教訓は
「一緒にいる人を選ぼう」ということです。
友達もそうですが、より親密になる彼氏/彼女は特にです。
必ずしも全ての人が親に肯定されて育ってきたわけではありません。その劣等感のようなものを悪化させることも払拭することもできるのが彼氏/彼女をはじめとする家族以外の近しい存在です。自己肯定感が低いと得てして馬鹿にされることに甘んじてしまいがちですが、それは自分の精神を蝕んでいるだけ。一緒にいる人が変わるだけでこうもポジティブになれるのかと自分自身驚いています。
まじめ一辺倒に思われがちな私が彼氏の前ではふざけ倒してたり、とにかく笑顔が絶えません。おかげさまで毎日幸せです。
日本人の宗教観がはらむ危険性
別の本を探しに新書コーナーに立ち寄ったら目にとまった本がありました。
ペラペラとめくってみるとフランスが事例として紹介されており、思わず購入。
ページ数もそんなに多くなくあっという間に読み終えてしまいました。
まず簡単な感想を。
購入した当初、出版年を確認しておらず、昨今の情勢を受けてのものかと読み進めているとどうも出てくる年号が古い。そこでやっと確認すると2004年出版。既に10年以上も前からこの方はイスラム情勢に警鐘を鳴らしていたことに愕然とするとともに問題の根深さに絶望を覚えました。
ヨーロッパ政治を勉強していたこともあり、内容自体はすんなり入ってくるものでした。フランスの情勢も自分がまさに肌で感じていたことと一致していて、実地での研究を重視されているだけあって非常に丁寧に状況を捉えていると感じました。
まさにイスラム問題がこじれている現在、もう一度問題の背景を整理するのに役立つ良書です。今読んでも古さはなく、いかにこの10年間状況が改善してこなかったかを再認識しました。それどころか筆者が懸念していた方向に事態が進んでいることに悲しい気持ちになります。
この本を読み終えて、留学中に履修していた「政治と宗教」という授業の最終課題を思い出しました。私は「日本人の宗教観」というテーマでレポートを書きました。簡単にまとめると「日本人は宗教に対して寛容なのではなく無関心だ。」という内容のものです。日本人はクリスマスなど、他宗教のイベントを積極的に取り入れているように見えますが、結局のところ自分たちに都合の良いものだけをピックアップしたにすぎません。取り入れられたイベントは一年のサイクルに組み込まれ、宗教的な背景は関係なくみんながやっているから、なんとなく習慣としてやっている側面が強い。
本書から伺えたのは、国によって背景は違えど「無関心」が歪んだ認識を生み出していること。ここでいう「無関心」とは「相手を知ろうとしないこと」。相手を知ろうともせず、勝手なイメージでレッテルを貼る。そしてそのイメージだけが一人歩きし憎悪を生み出す。
これって本当にヨーロッパだけの問題でしょうか?
日本では周囲と同じことをしている限りは特に何も言われませんが、一度目立つ行為をするようになると周りから白い目で見られます。そしてみんなと違うことをやっているから悪いという風潮になりがちです。ヨーロッパの問題と構造が似ていませんか?
東京ではだいぶ外国人を見かけることが多くなりました。それでも西欧諸国に比べればまだまだ多様性は低く、ヨーロッパで起きている問題が今すぐ発生するとは思いません。しかし今後日本に定住する外国人は増えていく可能性が高い。その時にヨーロッパと同じ轍を踏まないように、日本人の意識を変えていく必要がありそうです。
無関心がまた新たな悲劇を生まないことを切に願っています。
母と娘の関係性
負の感情からの解放
因果応報という言葉についてどんなイメージがありますか?
普段の用法だとどちらかというと負のイメージが強いかと思います。
「あいつは悪いことをしていたから因果応報だ」と。
でも因果応報という言葉、もともとは仏教用語で
「自分のした行いが自分に返ってくる」という非常にシンプルなものです。
これがタイトルの「負の感情からの解放」とどうつながってくるのか?
「自分のした行いが自分に返ってくる」のはもちろん自分に限らず全ての人に当てはまります。このことに気づけると、「怒り」や「憎しみ」のような感情からくる「復讐心」が一切なくなります。
わざわざ自分が手を下す必要がないのです。
その時は自分が嫌な思いをし、相手が良い思いをするかもしれない。
でもその悪い行いは巡り巡ってその人のところに返ってきます。
自分が手を下してしまうとむしろ相手と同じレベルに下がってしまいます。
いつかその人は報いを受ける日が来るでしょう。
私たちは今まで通り周囲の人を思いやった行動を続けていればいいのです。
イメージしてみてください。
普段から周りに嘘をついている人が、いざ本当に困ったときに誰かが信用して助けてくれるでしょうか?
何もその人が頼ってきたら助けなさいと言っているわけではありません。
あくまで自分からわざわざその人を陥れるようなことをしなくていいというだけです。
私はこの考え方に気づいてから、今まで怒りや憎しみを抱いていた人たちに対して哀れみを抱くどころかほぼ無関心になりました。
その人たちは既に周囲から慕われていないですし、私が何かするまでもなかったのです。
今まで自分の置かれた環境を恨み憎しんできた方々に是非この考え方に触れていただきたい。
気持ちがすーっと楽になります。昔より明るいと言われることが増えました。
人生は恐らくマイナスの感情に時間を割いているほど長くはありません。
それよりは周囲への感謝を忘れず、何かしらの還元をしていく方がよっぽど幸せではないでしょうか。
視野を広くすることと視座を高くすること
「広い視野で物事を見ましょう」
期待されるということ
若者はいつの時代も「これだから今時のは〜」と言われながらも、多くの人の期待を背負っている。
なぜ留学に行く必要があるのか?
グローバル人材の育成が叫ばれている昨今ですが、
なぜ留学に行く必要があるんでしょうか?
留学を促進する某プロジェクトに関わっている関係で最近よく考える問いです。
決して留学に否定的な訳ではありません。
私自身1年間の留学に行きました。
私はなんで留学に行ったのか?
表向きの理由はたくさんありますが、根底には
「幼少期を過ごした国でもう一度勉強したい」
という思いがあったからです。
実際私の周りでも留学に行った人はたくさんいますが、大半が帰国子女、もしくは今までの人生のどこかしらで外国と接点があった人です。
では今まで一度も海外に興味をもったことのない人、これからもそのつもりがない人にどうやったら「留学に行く必要性」に対して説得力のある説明ができるんでしょうか?
視野が広げられるから?日本ではできない経験が得られるから?
語学が上達するから?世界中に友達ができるから?
どれも充分な説得力があるように思えません。
グローバル人材育成の必要性に関しては共感できるし、実際に必要性もあると思いますが、それはあくまで「上からの視点」。
学生側の「下からの視点」で見て真に説得力がある説明はまだまだ少なく感じます。
その解決策の一つとして、ロールモデルの存在があると思っています。
海外に行くことに対するイメージがわかない中、ロールモデルは無数にある答えの一つを提示してくれるものです。
人それぞれ、琴線に触れるものは違います。
「下からの視点」はある意味一つの答えに行き着くことはないのだと思います。
それよりかは、より多くの事例を提示することでより多くの人に響かせることを考えたほうがよっぽどいい。
日本は少子高齢化が進行していく以上、今までよりもっと外国との関わりが重要になってきます。
日本だけで完結できる時代はもう終わったんだと思います。
それに気づく人を一人でも多く増やしたい。
ロールモデルになれるかは不明ですが、いずれ私の留学経験も投稿したいと思います。